2012年度

2学期終業式 学校長式辞

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投稿日2012/12/18

 真夏並みの厳しい残暑の中で2学期が始まりましたが、濃い緑の葉を茂らせていた木々の葉は今はすっかり落ちて、北国からは大雪の情報が届く季節になりました。夏から秋、秋から冬へ、三つの季節が次々と移り変わっていく変化に富んだ2学期も今日で終わります。
 今年は中高創立50周年という特別の年でもあり、9月の文化祭は創立50周年記念文化祭として行われました。まずまずの天候に恵まれ、大勢のお客様を迎えて、華やいだ雰囲気の中にも落ち着きのあるよい文化祭を、皆さんは力を合わせて創り上げてくれました。
 10月には高校スピーチコンテストが行われましたが、グローバル化する世界での皆さんの将来の活躍が楽しみとなる、そんなレベルの高い英語のスピーチに今回も本当に感心いたしました。
 そして学園創立記念日の11月1日は、森一弘司教様をお招きして「21世紀の女性像」という演題でご講演をいただき、慰霊祭並びに創立50周年記念の感謝ミサにあずかって、皆で喜びと感謝を新たにいたしました。
 森司教様はご講演の中で、人には三つの基本的欲求―1「柔らかくてとげのない温かいもの包まれていたい」、2「業績(to do)で評価するのではなく、ありのままの自分(to be)を認めてほしい」、3「心に触れたい」―があるが、それはお母さんの子宮の中にいたときに人が味わった原体験であるということ、そして、日本における自殺者の多さはこれらの基本的欲求が満たされず、生きることを断念する人が多いためではないか、だから皆さんには、「柔らかくとげのない温かい」女性になってほしい、ということを話されました。
 またミサの説教では、人が生まれてから一人前の成人に成長するまでに、親が子どもに無償で与えている様々な心遣いや世話(授乳、入浴、排泄、看病、教育等々)を仮にお金に換算するとおよそ5億円位になるのではないか、けれど親は子どもに「金、5億円也」などと書いた請求書をよこしたりはしない、という事実に目を向けさせ、両親はじめ多くの人に支えられ、その世話になって今の私たちがあるということに気付かせてくださいました。
 大人になっていくために私たちが払った対価(苦労、努力)をはるかに超えて、私たちは他人から多くのものをいただいているということは、この学校についても言えることです。開校当初は中学1年生、高校1年生、合わせて106名であった小さな学校が、50年経った今日、生徒数は中高全体で890名、卒業生総数は5854名になっています。小さいながらも、学校がこうして順調に成長できた陰には、過去50年間、この学園で教壇に立たれた先生方とこの学校で学び卒業していった皆さんの先輩たちのたゆまぬ努力と苦労があり、また保護者や地域の方々、学園を温かく見守り理解してくださる方たちの様々なご支援があったからです。
 50周年という節目の年に、私たちの先人、先輩たち―中にはもう故人となられた方もおられますが―それらの方々に思いを馳せ、感謝するとともに、その方々が築いてくださった晃華のよき校風と伝統(明るく伸びやかで家庭的)を継承し、更に発展させるために、次の50年に向かって新たな歩みを始めましょう。

 この終業式を前に、私たちは一足早いクリスマスのミサにあずかり、救い主のご降誕を祝いました。ほのかな明かりの中で、粗末な布にくるまれ、わらの上に横たわる幼子キリスト。旧約の預言者たちが予言し、イスラエルの人々が熱烈に待ち望んだメシアは、当時の大方の予想と異なり、都のエルサレムではなく、ベツレヘムという小さな町で、人々が寝静まった真夜中にひっそりと生まれました。現代は情報の時代、宣伝と広告の時代ですが、ことばの氾濫するこの世界に、神のみことばは一言も語らない赤ん坊の姿をとられました。
 その夜、天使は羊飼いたちに「布に包まれ、飼い葉桶に寝かされている幼子、これがあなた方へのしるしである」(ルカ2:12)と伝えます。今日、私たちは捨てる場所に困るほどものに取り囲まれて生きています。それは豊かさというより、むしろガラクタの山のようにも見えます。ですから素朴な飼い葉桶は、この世の富の貧しさと空しさをあらためて知らせてくれます。この世の富に囲まれているわたしたちが貧しいから、神はこの世が与えることのできない本物の豊かさを与えようと、貧しい粗末な飼い葉桶に自らを横たえました。
 生まれたばかりの幼子は、小さくて無力な存在ですが、それでいて命の塊のような生命力に溢れて温かく、誰をも裁かず拒みません。誰しもが包まれていたいと願う「柔らかくとげのない温かい」存在そのものです。こういう幼子の傍にいると、どんなに心の荒んだ人にも温かい心が戻り、人は警戒心や猜疑心を解きます。神様はこんなにも優しい姿で私たちのもとに来てくださったのです。だから私たちは安心して神様に近付けます。
 クリスマスの心、それは人を愛するがゆえに、その人と同じ世界に身を置いて、人が味わう喜びも悲しみも全てを共にしようとされる神の愛の心です。私たちを取り巻く現実の世界がどれほど混迷を深めていても、いつも共にいて私たちを支えてくださる神様を信頼し、この1年間にいただいた全ての恵みに感謝しつつ、新しい年がもたらす全て、楽しいことも苦しいことも、嬉しいことも辛いことも全てを、自分自身の成長の糧として受け入れて、勇気をもって前に進みましょう。
 新しい年が希望と平和に満ちたよい年でありますように!

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