晃華学園では毎週土曜日、全校生徒にむけて教員が自分の考えを放送で語ります。
生徒にとっては、カトリックの価値観はもちろん、教員個人の多様な価値観に触れ、自らの価値観について考える機会となっています。
ーーーーーーー
皆さんは最近ニュースでイランの戦争やイスラエルとレバノンの紛争などをよく耳にすると思います。今日は戦争で亡くなった人ではなく、戦争から帰ってきた人の話を少ししてみたいと思います。私の祖父は16歳で年齢を偽って米軍に入り、1945年の初頭に米軍に入りました。
ドイツに着いた時には第二次世界大戦が終わっており、彼は残念な思いでアメリカに帰りました。そのまま軍に残って朝鮮戦争、最後はベトナム戦争を経験しました。
「人格が変わった」とベトナム戦争から帰ってきた祖父を見て、家族のみんなが言っていました。いわゆるPTSD、心的外傷です。
当時はその言葉がありませんでした。戦争から帰ってきた多くの兵士は急にキレたり、街中でちょっとした物音や場面で戦争にいる感覚をフラッシュバックし、日常生活に非常に苦しんだと言われました。PTSDという症状は1980年代になるまでほとんど理解されておらず、戦争から帰ってきた人々は適切な支援や治療を受けることがなく、一人で抱えて過ごす人が多かったです。
1980年代になってPTSDが正式に障害として認定されるまでは、多くの兵士たちは臆病者、頭のおかしい人として扱われ、処刑された兵士たちも多くいました。また、帰ってきても適切な支援を受けられず、自殺をしたり、苦しい思いで帰還した人が多かったです。私の祖父もベトナムから帰ってきて、ずっとフラッシュバックがあり、戦争にいた時の方が逆に楽だったと言っていたそうです。なぜなら、自分のやるべきことがはっきりしていたからです。銃を持って敵を見つけ、その人を殺すという簡単な命令でした。
しかしアメリカに帰ってきて、多くの国民はベトナムに行ったことを責めるようになりました。ベトナム戦争はアメリカが始めた愚かな戦争とされ、それに加担した彼も愚か者として扱われました。彼の対処法は非常に変わっていて、彼はモンタナ州というほぼ森しかない田舎の出身だったため、よく森に行って狩りをすることが対処法でした。
獲物を見つけて仕留める。それがベトナムにいた時の感覚や経験と重なり、心を落ち着かせる方法だったそうです。彼の対処法が正しいとは言えませんが、PTSDが理解されるまでは、誰も助ける術を知りませんでした。
日本でも第二次世界大戦後に似たようなことが多く発生しました。戦争から帰ってきた兵士、空襲で街が惨状になった姿を見た人々、広島や長崎の原爆を経験した人々など、その経験をした人にしか分からない苦しみがありました。
祖父の言葉を借りると、「戦争で亡くなった人は逆に楽なんだよ。そこで終わりだから」と言っていました。残った人々はその経験や思いをずっと背負って生きていかなければならなくなったのです。皆さんがそういう経験をしなくていいように、日々歴史を学び、日本が戦後守ってきた平和を受け継いでいかなければなりません。
最後に一つだけ。今日はニュージーランドとオーストラリアの、ある意味建国の伝説の一つになっているANZAC DAYです。第一次世界大戦の時に、ニュージーランドとオーストラリアの兵士たちがトルコの崖を攻めました。そこで両国の精神が生まれたと言われている日です。TD先生のひいおじいさんもその戦いに参加し、大きな傷を負って帰ってきたそうです。皆さんもぜひ、そういう人々のことを思ってください。終わります。